進路の決断
とにかく絵を描くことが好きで、中学生の時から美術部に入り、将来も絵を描く仕事に就きたいと考えていた私は、芸術科コースのある高校への進学しか考えていませんでした。
希望していた学校は、私が入学する年から芸術科が出来ることが決まっており、新しいコースということとカリキュラムの内容が魅力的で、とても人気がありました。
試験は、面接とデッサンの実技試験。
一つの教室に集められた受験生たちは、皆凄く上手くて、得意だった筈の私のデッサンの出来は散々なものでした。
定員に対して3倍の受験者数があったと聞いて、私は自信がなく落ち込みましたが、結果は合格。
はれて芸術科に入学となったのでした。
1年生の1学期から周りは皆、美大に向けての情報収集や勉強に力を入れており、自分との意識の違いに驚きました。
私は毎日の勉強や課題についていくのがやっとで、成績は下から数えたほうが早い落ちこぼれ状態でした。
なので、美大への進学は難しかったであろうし、それ以前に何のために美大へ進学するのかが理解できず、結局進学を希望しませんでした。
それでも担任や講師には非常に恵まれ、自分のスタイルや私らしい表現を身につけることができました。
今の私があるのは、恩師のおかげと言っても過言ではありません。
教える側となった今、私は生徒それぞれの個性を伸ばせるようにと思いながらも、その難しさに直面しています。
私のような落ちこぼれを、ここまでにしてくれた恩師のように、私もなりたいと思う日々なのです。
夢が見つかりません
目からウロコのコラムを読んだ。
新聞の悩み相談のページだ。
投稿者は中学生か高校生で、夢が見つかりませんと悩んでいた。
アドバイスするのは、精神科医でメディアでもよく見かける香山リカ先生。
夢が見つからない、というのはもっと年を重ねれば受け入れられるものでもあるけれど、10代の頃には結構切実な悩みだと思う。
だって強制的に進路をなにかしろ選ばなければならない。
やりたいことも才能もわからない。
そしてそのタイミングは、待ってはくれないのだ。
香山先生は「夢ってそんなもの」だと言っていた。
知っている世界から選び取ろうとすると、見えないのかもと。
確かに、私たちは選ぶときに、知っているものの中からしか選べない。
だとすると、10代に経験したものの中に夢たるものが存在する可能性は極めて低いのではないか。
迷って当然なのだそうだ。
迷いながら、目の前にある「好きなもの」「興味のあるもの」「面白いと思えるもの」をひとつひとつ経験していく。
その中に、小さな夢があったりする。
そこからつながっていくようなものではないか、と。
もう30半ばになる私からすれば、もう少し早くソレ教えてほしかった。
夢とは決して既存の職業である必要はない。
ただただ好きなものに誠実に取り組めば、きっとそこに道が出来ていくのだろう。
頭がもう少し良ければ早く気づけたかな。
でも、始めるのに遅すぎることはないとも言うし。
まだまだこれから、好きなものと向き合って、人生作っていくことにしよう。